Friday, February 18, 2011

「差別」という言葉

差別という言葉は英語では「discrimination」と訳される。しかし、差別の漢字からこの思想の性質を大ざっぱに理解するようになる。

「差」という字の意味は英語で述べたら「difference」といえる。これは差別の過程の第一部分の芯だ。他の人を差別的に扱うということはその人と自分の異なる点を確認することから始まる。しかし、それは差別の全体ではない。自由主義の含蓄を問わず、各個人は独特ではないだろうか。物理的にしろ性格的にしろ、双子さえまったく同じ人ではないだろう。たとえば、私とジェイミーは身長で異なる。だが、ジェイミーは怪物のような背が高い私を差別的に扱わない。身長によるの差別があるかも知れないけれど、異なる点が差別を可能にさせる差になることはこの過程の続きだ。

「別れる」は英語で言うと「to separate」といえる。他の人と自分の異なる点を確認した後で、知的にその人を自分を含めていないグループに割り当てるのは差別の始まりだと思う。自分のグループから除くと、その人は共感できないという考えを可能にさせる。これは差別過程の基本的な形だと思う。ある人と自分の差を確認して、その人と自分の境を作る過程と言える。

宗教、人類、国籍などは、差別につながりやすい差だ。しかし、差別はこれらの差に限っていない。あなたはどんな周りの人と自分の異なる点を確認するだろうか?どんな差があなたにとって大事なのか?方言?出身地?政治的なイデオロギー?他の人間との違いを可能にさせる自分の心に抱いてる差に対しての考えをぜひ認めて下さい。

Wednesday, February 16, 2011

どうして差別が気になっているの? − クレイ

子供の頃、私の父親は外交官の仕事をした。十歳になる前にワシントンD.C.、インドネシア、エチオピアとハワイ州に住んだ。この四つの社会はものすごく異なったが、すべて多民族社会だった。ハワイに私の小学校同級生の祖先は様々な国から来た。インドネシアで私たちの料理人はキリスト教だったけれど、毎朝イスラム教のアザーンで目を覚ましていた。エチオピアに住んでた時イデオロギーによる内戦が激化した。二十歳になって、出生証明書をとるように出身地のワシントンD.C.の保健社会福祉署に行った時100名以上の客の中に白人は二人しかいなかった。ここにさまざまな人たちが隣に住んでいた。たまにこの多様な社会に暴力が起ってきたが、たいてい民衆は平和的に異邦人と共に暮らした。


インドネシア

私は大人になるにつれ、この色々な社会がどんな手段で民族乱暴を避けるようにするかについて考えてきた。従って、私の歴史研究は国際、民族交流を中心にしてきた。現代こそ、この課題を取り組まなくてはいけないと思う。科学技術の進歩が続くにつれて他人との絆が強くなってきた。現代の世界的な社会はどう差別を根絶して、人々の間の知的壁を倒そう?

Tuesday, February 15, 2011

これは差別なのか? - 離れた近所


マンハッタンの北部分


去年(2010年)アメリカの国立政府は国勢調査を実行した。結果はまだ出てこないが、国勢調査局が途中経過を公開した。二ヶ月前、ニューヨーク・タイムズはこのデータで地図を作った

地図は学習道具として役に立つだろう。この資料からなにを学べるだろうか?一瞬のうちにアメリカの大規模な都市に分離状態がある。左の写真には私の近所が見られる。白人とアジア人は人口の84%だ。収入平均値は$44,000(360万円)だ。大学院生が住む典型的な近所といえる。しかし、モーニングサイド公園を渡たるとハーレムに着く。私の近所の向かいに立っている国勢統計区の人口が人類によって全然違う(収入中央値を比較出来る)。約150メートルの距離においてこの極端な分割がある。

この幻想は差別とどんな関係があるだろうか?部分的に差別の結果だ。差別的な不動産業実施に直面して、アフリカ系アメリカ人はニューヨークの中心から離れているハーレムに定住した。その間にコロンビア大学はハドソン川に沿う隣のモーニングサイドハイツという地域に移動した。モーニングサイドハイツはいい不動産物件だった。ハーレムはそうとは言えなかった。しかし、この差別による分け方はお互いに差別を可能にさせる。モーニングサイドハイツとハーレムは二つの別の社会として発展してきたといえる。ハーレムはアフリカ系アメリカ人文化の中心として活躍した。モーニングサイドハイツのコロンビアは世界で一流の大学になった。この二つの世の間の交流があったが、隣の近所であるにもかかわらず、この交流は浅く、居住者はあまり交流がない。コロンビア大学生はハーレムが危ない所という印象を持っている。ハーレムの居住者はモーングサイドハイツに住む人が高慢だという印象がある。これらのでから習えることは差別と言う幻想のややこしさだ。差別的な行動は人間関係を枠に入れてしまう。しかし、この人間関係の形は差別的な行動を起らせる。差別を溶かすように、分け方の原因と結果を確認しなくてはいけない。

Monday, February 14, 2011

駐在外国人

2007年の夏に、日本の国立政府のジェットプログラムで日本に行った。以前に日本に住んだことがあったので、すぐ日本の生活に慣れた。しかし、しばしば外国人の英語教師は日本の生活に慣れなくて日本に対して嫌な感情を持つようになることがある。どうしてだろうか?個人によって理由は違うかも知れないが、私の知り合いを通してわかったことを挙げてみようと思う。

外国に行くのはストレスが多い経験だ。サポートネットワークがいるから、他の外国人と互いに交流するようになる傾向がある。それにはもちろん良い影響もある。外国人のコミュニティの中に自分の文化的アイデンティティーを確認して、カルチャーショックーにうまく対処できることだ。しかし、それに危険もある。外国人のコミュニティと日本人の間にバリアを組み立てる可能性がある。日本人と交流しないと駐在外国人は自分の孤独を補強する。その人は日本語を習う刺激がなくなってしまうと、交流は難しくなる。自分の経験からその悪循環は駐在外国人のコミュニティに広く行き渡っているということが分かるようになった。

この現象は完全に駐在外国人の責任ではない。日本人は心が暖かい人が多いけれど、他人に本当の自分を見せない人も多い。従って、駐在外国人の生活は寂しくなりがちだ。駐在外国人は周りの社会に参加するべきだ。しかし、日本人も自分の町に住んでいる外国人に手を差し出して欲しいと思う。他の日本人に任せないで、自分のこととして考えてください。孤独になった外国人は自分の国に帰った後で日本について文句を言うことがあるが、その外国人は日本の社会と深い関係を作る機会があまりなかったようだ。外国人も日本人も一緒にこの傾向を直してみよう。

友達になってみよう!

Sunday, February 13, 2011

差別の結末


2006の夏にアメリカ合衆国ホロコースト記念博物館で働いた。現代のジェノサイドの知識を広げるような活動に参加した。ルワンダ虐殺カンボジア大量殺戮アルメニア虐殺についてよく習った。この歴史を研究しながら、「どうして人間はその獣のような犯罪が出来たのだろうか」と熟考した。研究の最中で、Jean Hatzfeld の「Machete Season」を読んだ。ルワンダ虐殺の加害者の心理状態を分析するような本だ。Hatzfeld 氏は十人の加害者をインタビューした。自分の行動について直面させられた時、多くの加害者たちの反応は自分たちがしたことを認めないというものだった。しかし、間接的に加害者は内の考えを示した。加害者の心理から見ると、被害者はだった。戦争中ルワンダにフツの加害者に対してツチの被害者は人間以下の悪人だった。例えば、被害者をゴキブリと呼ぶことがよく起った。こう考えると、隣人を殺す命令に従うようになる。これは差別の結末だ。他の人間をゴキブリのように殺せる程バリアを作った結末だ。

一方で、差別の反対は何だろうか?ロメオ・ダレールの経験について話したい。ダレール氏は元カナダ軍中将だ。ルワンダ虐殺が行われた際、国連の平和維持軍の司令官だった。かつて、ダレール氏は私の大学でルワンダの経験について発表し、自分の経験について反省する講義だった。ダレール氏はものすごく良心的な人だ。ルワンダ人を守りたかったけれど、国際社会から、それを実行する術をもらえなかった。できるだけ平和を維持しようとしたが、それでも虐殺を行ってしまった。深く心理的に傷ついた。2000年に自殺未遂をした。その後、ジェノサイドについての知識を広げるように精力を捧げた。

その講義にこの報告をした。ダレール氏はカナダ人の平和維持部隊とルワンダを見回ったところ、ツチの女性団を偶然に見つけた。 その女性達は掘に横たわっていた。マチェテ(刃物の種類)で切られ、瀕死状態だった。ダレール氏は何も言わず、部隊は堀に飛び込んでそれらの女性を世話した。これは国際連合平和維持活動の命令に反していた。医療訓練の無い部隊はその人を救えなかった。その上、血だらけの堀にはAIDS感染の危険がものすごく高かった。それでも、どうしてこの部隊は堀に飛び込んだのだろうか。

その女性達は人間だったからだ。しかも、その人間はマチェテで殺されて、孤独に死にかけていた。その地獄を想像できるだろうか。カナダ人の部隊にとって一生の最後の瞬間を慰めることに比べて、AIDS感染の危険は重要ではなかった。その部隊はそれらの女性たちを自分の家族のように扱った。私たちは同じことができるだろうか。

Saturday, February 12, 2011

結論

今まで差別の定義を挙げて、差別の例を揃った。しかし、差別を溶かすように何をしようだろうか。

ダレール氏とそのカナダ人の部隊を見習わなくてはいけないと思う。他人を家族のように扱おう。どんな方法でそうする?私の意見と言えば、自分と異なる人を捜して、共通点を見つけた方がいい。交流が最高だと思う。他の人間と順応できれば、この人間を愛するしかない。

レ・プチ・セネガル


読者たちはだいたいモーニングサイドハイツに住んでいるだろう。過去と比べてモーニングサイドハイツとハレムの交流が増えているなのに、ハレムにめったに行かないコロンビア大学生はまだ多い。どうして?だてハレムは危ないという偏見がある。もちろんハレムに犯罪があるけれども、晴れている日にハレムに散歩するのが絶対に安全だ。ハレムの116丁目に「レ・プチ・セネガル」(Le Petit Sénégal) という近所がある。これはニューヨークの最大なアフリカ人街だ。コロンビア大学の中心から歩いたら、約5分後でレ・プチ・セネガルに着く。知ったのか?いつか昼ご飯か晩ご飯を食べるようにレ・プチ・セネガルに行って下さい!自分と異なる人と会って新しい友達を作るようにして下さい!この経験は自分の心を拡げるはもとより、素晴らしい人も会える。

同じようにニューヨーク、アメリカ、全世界へ探検に出かけよう。個人的の行動で差別が作ったバリアを少し崩せる。差別を溶かすように大事な一歩だと思う。